[防衛大学校]入試,偏差値,倍率,難易度,任官拒否,棒倒し,吉田茂,学長?

国防を担う自衛隊の幹部を育成する防衛大学校。日本有数の規律と規則が厳しい学校として有名ですが、他の大学とは違う特徴が多々あります。実質的な士官学校である防衛大学については話や噂はよく耳にするが内実は果たして如何に?

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防衛大学校は1952年に前身の「保安大学校」として創設され、2年後の1954年に防衛大学校という名前に改名しました。戦前は陸海軍がそれぞれの士官学校を運営していましたが、その相互交流や接点の少なさが不仲や連携不足に拍車をかけたと言われており、戦後はそれを反省して部隊の中核を担う幹部は陸海空関わりなく、同じ学校でまず学ばせるようにしたのが防衛大学です。キャンパスは軍港の街として知られる神奈川県横須賀市走水にあり、「省庁大学校」として位置づけられています(省庁大学校としては他にも海上保安大学校や航空大学校など)。省庁大学校であるため、年間予算として約147億円が計上され、ここに入学した学生は特別国家公務員の自衛隊員という身分になります。現在の学長は政治学者であり、現代中国政治の専門家でもある国分良成です。

学生は国家公務員であるため授業料は無料であり、制服などの衣服や食事も提供されます。さらに公務員という立場上アルバイトが禁止されているため毎月108,300円の手当と6月・12月にそれぞれ159,500円の賞与が支給されます。つまり衣食住が国から提供されるという形になりますが、それだけ厳格な学生生活を送ることになります。

 

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その学生生活についてですが、もちろん全員寮生活であり、上下関係は厳しいという一言では形容しきれないもののようです。1回生は「ゴミ」や「石ころ」と揶揄・皮肉られるほどの扱いであり、2回生は「虫けら」、3回生になってようやく「人間」となります。そして最高学年の4回生になると「神様」に昇格するようです。それだけ上下関係は厳格であり、上級生からの指導も厳しいものなのです。学生数は全体で2000人ほどであり、これを以って一つの「学生隊」を構成します。さらに軍隊同様に学生隊は4つの学生大隊に分かれており、これら大隊は学際などで競い合う関係です。

防衛大学生の一日は朝6時のラッパによる起床から始まり、5分で着替えとベッドメイキングして外に飛び出て整列・点呼・乾布摩擦をします。その後は朝の清掃、朝食、国旗掲揚、朝礼を行ってから授業のある教室まで行進します。この行進は防衛大学を代表する光景の一つであり、他の大学では見られないものでしょう。

 

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授業は他の大学同様にいわゆる「一般教養」に加えて「防衛学」というものを学びます。具体的には国防論、戦略・作戦、軍事史などがあり、自衛官として必要不可欠な内容です。ちなみに教えられている防衛学の概要や一部については大学の教官らがまとめた「軍事学入門」という書物で知ることができます。その他にも国際関係や危機管理なども学習することができます。このようにいわゆる「座学」の授業に関しては防衛学以外は一般大学とそれほどかけ離れたものではありません。

しかし、授業以外にも防衛大学には4月と7月に「定期訓練」が必須となっています。この訓練課程では全員共通のものとして小銃射撃、戦闘訓練、水泳、スキーなどがあります。なかには硫黄島研修など戦争のつめ跡を見学して戦争の悲惨さを目の当たりにする体験もあります。訓練の中で特に有名なのはやはり1年次に行う8kmの遠泳やカッター(短艇)の訓練でしょう。そして共通訓練を経験した後は自衛隊が陸海空の三つに分かれているように幹部候補でもある防衛大学生もそれぞれ陸海空の要員に分かれて訓練を積み重ねます。この陸海空の要員については2回生に進級する際に適性検査、試験、希望などを得て配属されます。

 

さて、午前中の授業が終わると学生が一堂に会しての昼食となりますが、ここでは1回生が上級生の配膳を行わないといけないため、1回生は授業が終わると教室を飛び出して食堂に急ぎます。昼食が終わると再び教室まで行進して午後の授業を受けて16:30以降の放課後は校友会・クラブ活動を行います。学生は帰宅部であることは許されず必ず一つは「体育会系」のものに入部しなければなりません。主な校友会活動として「サッカー」や「野球」はもちろんのこと「銃剣道」「儀仗隊」「カッター(短艇)委員会」「軍事史研究部」など独特のものも含めて72個もあります。ちなみに吹奏楽部は一般的には文系に属しますが、防衛大学では学際や観閲式の際に学校の顔としての栄誉と責任があるため「体育会系」として扱われます。

 

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校友会活動を終えた後は夕食と入浴を済ませて洗濯とアイロンがけを実施します。自衛隊はもとより防衛大学でも「アイロンがけ」は重視されており、ベッドメイキング同様に細かく厳しい基準をクリアしなければなりません。そのため防衛大学生や自衛官は必然的に「ベッドメイキングとアイロンがけのプロ」になります。その後は午後8時頃から2時間の自習時間を得て午後10時半には消灯となります。このように防衛大学生の一日は厳格な規則と規律の中で文武両道を目指し、肉体、精神、学力を鍛錬する目まぐるしく忙しい一日となります。このような厳しい生活は当初は苦しく4年間を通して脱落者も出ます。しかし、大半は徐々に慣れて半年ほどで顔つきが変わるほど逞しくなるようです。国防を担い、国民にとって頼もしい存在を鍛え上げるために防衛大学の厳しさはあるのです。

 

さて、防衛大学の名物といえば「棒倒し」でしょう。これは毎年11月に開かれる学際、「開校記念祭」での行事です。模擬店が並ぶ中で訓練展示や観閲式を行うのは防衛大学ならではのことですが、棒倒しはその最たるものでしょう。棒倒しとは競技場に描かれた2つの円の真ん中に大きな棒を置き、2つのチームが互いの棒を倒そうとする競技です。チームはそれぞれ攻撃と防御に分かれており、どういう戦術で相手チームの攻撃を防ぎつつ、相手の防御の間隙をぬって棒を倒すかが勝負のカギとなります。チームは前述の「大隊」から選ばれた150名ほどから成り、勝負には大隊の名誉を賭けます。そのため、各チームは熾烈な争いを繰り広げ、一見するとスポーツとは思えないほどの激しさです。この光景はもはや防衛大学の風物詩、名物として一般でも認知されており、毎年多くの観客が詰め掛けます。

 

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このように防衛大学に入学すれば一般大学とは異なる独自の経験を味わえます。それには忍耐力はもちろんのこと適応力も必要ですが、日本の防人を志す人にとっては最適の場でしょう。では、その防衛大学にはどうやって入るのか?まず気になる偏差値に関しては一般入試の前期に限って言えば文系で63~65、理系で56~58となっています。倍率も一般の前期・後期ともにだいたい10~12倍です。入試方法として一般試験、推薦、AO入試などがあります。基本的には21歳未満であることが求められ、日本国籍の者に限られます。推薦では100名、AO入試では40名、一般入試の前期では300名、後期では40名ほどを採用することとなっています。願書受付や入試日は一般大学よりも早く、秋に行われます。

詳しくは防衛大HPをご参照下さい→コチラ

 

防衛大学は幹部自衛官を育成するための学校です。そのため厳しい上下関係、規則規律を重んじる学生生活、幹部自衛官になるための座学・訓練を経験する一方で国家公務員として手当が支給されて衣食住も提供されます。卒業後は幹部候補生となり、陸海空の幹部候補生学校に進みます。そして幹部候補生学校を卒業して3尉(少尉相当)として各部隊に配属されます。しかし、卒業生全員が自衛官となるわけではありません。卒業後は自衛官にはならずに違う道を歩む「任官拒否」という選択肢もあるのです。

しかし、昨今は任官拒否した場合は4年間の学費(250万円相当)を返還すべしという議論も出ており、今後はその方向に動くかもしれません。実際、防衛医科大学の方では任官拒否した場合は学費を返還することが求められており、防衛大学校でも同様の制度を設ける可能性が高いです。在学中や卒業を控えて心情変化や諸事情によって任官拒否することはあるでしょうが、本来は「幹部自衛官」になるために入学したことを前提としている以上、任官拒否者が多すぎると学費返還の議論が起こるのは止むを得ないでしょう。

最近では2015年9月に成立した安全保障関連法案を受けて任官拒否者数が増加するのではないかという懸念もあります。実際に今年度の任官拒否数は昨年度に比べて倍増して47名でした。確かにここ2年ほどの任官拒否数の増加は安全保障関連法案の影響もあることは否めないでしょう。しかし、それは一時的なものかもしれません。任官拒否数は常に増減しており、湾岸戦争のあった1991年は90人近くが任官拒否しました。それに比べれば圧倒的に少ないと言えるでしょうし、東日本大震災発生後に4人にまで減少した年から見れば大幅に増加したとも言えるでしょう。むしろ安保法案の成立と施行を受けて今後は従来とは違う「新たなリスク」も念頭に防衛大学に志願・入学することが予想されます。そのため、任官拒否の数は今後も一定の幅の中で増減するでしょうがそれに一喜一憂するのはいかがなものかと。

 

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最後に有名な逸話を紹介します。防衛大学は毎年内閣総理大臣と防衛大臣が出席して首相が訓示を行うのが慣習となっています。1957年に最初の卒業式を迎えましたが時の総理・吉田茂の訓示は今も語り継がれています。それは戦争の記憶がまだ新しく、自衛隊に対する国民の目が厳しかった頃に初の防衛大学卒業生として、発足して間もない自衛隊の将来の幹部として巣立つ学生に以下のような言葉を贈りました。

 

「君達は自衛隊に在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終えるかもしれない。きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎されてちやほやされる事態とは外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し、国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば君達が日陰者である時の方が国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。」

 

確かに近年は自衛隊の活躍を見聞することが多いですが、その多くは災害救助・派遣など国民にとっては望ましくない状況でのことです。そういう意味では自衛隊が注目されない状況の方が国民にとっては平和で安寧な状況なのです。しかし、日陰者とはいえ、それはなくてはならない存在です。注目されなくてよい事態、つまり平和を我々国民が普段見ない、知らないところで毎日支えているのが自衛隊なのです。そしてその中核を担うべき幹部を育成する防衛大学。「縁の下の力持ち」として日本の平和と国民の生命を護る仕事に就く自衛隊や防衛大学生には今後もその職務に矜持を持って励んでいただきたいものです。そして国民もその存在・役割・任務を頭の片隅にでも記憶した上で自分なりの理解とリスペクトを示すべきでしょう。

 

画像引用元:www.mod.go.jp/nda/ (防衛大学校HP)

 

 

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