[舞鶴紀行]海上自衛隊基地,海軍ゆかりの地を訪問〜

番外編の紀行記事です。今回は日本の四大軍港の一つである京都府・舞鶴市へとお邪魔しました。明治期より旧海軍、そして海上自衛隊の基地がある街として有名な舞鶴で自衛隊や海軍ゆかりの地を訪ねました。もし、舞鶴や京都府北部を訪れる予定のある方がいれば、ぜひ観光の参考にしてもらえれば幸いです。

舞鶴って?

京都府・舞鶴といえば、海軍や海上自衛隊が思いつくでしょう。天然の良港を持つ舞鶴は明治期より軍港として整備され、戦略的に重要な地でした。日露戦争で活躍した多くの主力艦が舞鶴を母港としており、碁盤の目に整備された道路は今も「敷島通り」や「八島通り」などの名前がつけられています。そして、1901年に開設された舞鶴鎮守府の初代長官は日本海海戦の英雄、東郷平八郎です。

まさに、海軍とともに発展した街であり、それは戦後も変わりませんでした。海上自衛隊の舞鶴基地には第3護衛隊群や第23航空隊が配備されており、最新鋭のイージス艦やヘリ空母を有します。海上自衛隊の基地は幹線道路の真横にあり、岸壁に停泊する護衛艦を見ることができます。ただ、基地の中に入っての見学は毎週土日祝の10時から15時までとなっています。航空隊の方は同14時〜15時です。

では、ここからはほとんど写真になります。

 

まず、午前中に東舞鶴駅に到着!
京都から乗り換えなしの特急で1時間半ほど。

ちなみに、「舞鶴駅」というのは無いんですね(・Д・)

舞鶴は軍港として発展した「東舞鶴地区」と細川忠興の城下町として発展した「西舞鶴地区」に分かれています。

平日の朝方とはいえ、人はかなり疎ら・・・

 

でも、途中で海上自衛隊の水兵さんがたくさん歩いていました( ^ω^ )

自衛隊がいるから若者人口もそれなりに多いんじゃないかな?

そんなことを思いながら、街中をしばらく歩いていると・・・

 

これは軍艦のシルエットではないか(´・Д・)」

実は舞鶴の主要通りは軍艦の名前が付けられているそうで。
それも舞鶴を母港とし、日露戦争で活躍した戦艦の名前だとか。

歩いている自衛隊員に加えて、こういうのが軍港ならではですね( ^∀^)

そうこうしながら歩いていると舞鶴湾が目の前に!

 

水産庁の漁業監視船が泊まっていました。珍しい( ^ω^ )

途中、コンビニにお茶を買いに寄り道。
店内には海上自衛隊の水兵さんがたくさんいました。
高校生と見間違うほどの隊員ばかりで、「若いのに日本を守ってくださってありがとう」という思いが自然に湧きましたね(^ ^)

さて、西へ歩くこと10分。
あの有名な赤レンガ倉庫群に。

 

明治期の建物が保存されているので風情がありますなぁ〜
一部はカフェ、土産屋、記念館になっているようです。

というわけで、2階にある無料の記念館で軍港・舞鶴の歴史を勉強_φ( ̄ー ̄ )
ここは「日本のいちばん長い日」や「男たちの大和」のロケ地にもなっていたんですね。

見学を終えたところで1階に降りて早めの昼食
もちろん海軍カレー(^ν^)

ジュースとビスケットまで付いてきて800円なり(*´-`)

 

休み終えたところでいよいよ基地へ!

蒸し暑い中を歩くこと約15分、遂に目的地に到着です。

「見学です〜」って言うとすぐ基地内に入れました( ^∀^)

しかし・・・

まさかの護衛艦が1隻もいない( ;∀;)

7隻は在籍しているはずが、本日は岸壁がほぼ空の状態・・・

この3日後に北朝鮮がICBMを発射したので、もしかして自衛隊は兆候を掴んで護衛艦を出港させていた?

まぁ、それでも掃海艇、ミサイル艇、そして多用途支援艦などは間近で見学できました( ^ω^ )

帰り際に自衛隊ショップでグッズを購入。

珍しいので買っちゃいました。
味はほんのり甘くて美味( ^ω^ )

それにしても、基地は幹線道路のすぐ脇にあるんですな。

左側が基地

歩道からも丸見えだし、鉄条網しかないのはどうなんだろう(-.-;)?

セキュリティー上の問題ないのかな?

護衛艦はいませんでしたが、ミサイル艇とかは見れたので良しとしよう。グッズも買えたし。

再び幹線道路を西へ歩くこと10分。

海上自衛隊舞鶴地方総監部に着きました。
昔の鎮守府ですね( ̄∀ ̄)

目的は敷地内にある海軍記念館!入館料

海軍の歴史、貴重な展示品、そして東郷平八郎元帥の胸像がありました。

 

人も少なかったし、貴重な資料をたくさん見れました(^ ^)

だが、ここで航空隊の見学時間が終わっていることに気付きます・・・気を取り直して次の目的地へ!

赤レンガ倉庫群まで戻り、土日祝限定のループバスに乗ります。
そして、中心部から離れたところにあるのがここ。

舞鶴引揚記念館です。

ご存知の方も多いですが、満州や中国、朝鮮には多くの日本人が住んでいました。しかし、1945年の敗戦によって日本に帰ることになります。その多くが降り立ったのがこの舞鶴なのです。

そして、悲劇的なのは多くの人々が帰ってこられなかったこと。

ソ連の裏切りによって一般の日本人が多数殺されました。
満州におけるソ連軍の暴力は凄まじく、筆舌に尽くしがたいものです。そして、終戦後も「東京へ帰してやる」という文言とは裏腹に日本人捕虜を抑留します。

帰らぬ人の帰りを待つ母や妻

満州、中国・朝鮮からの引揚げ、ソ連での抑留生活などを紹介しているのがこの記念館です。ここ舞鶴は軍港として発展しましたが、その一方でこうした悲劇的な面を目撃した街でもあります。

これらを忘れないため、しっかりと記憶するためにも、舞鶴を訪れた人はぜひ引揚記念館にも立ち寄ってほしいものです。

 

さて、こうして舞鶴観光は一通り終わりました。
夕方になり、お腹も空いてきた頃。ラーメンの気分だったので赤レンガ倉庫群の近くにあるラーメン屋で夕食(`・ω・´)

一日でも十分に観光できる舞鶴紀行でした( ^∀^)

次こそ護衛艦がいる時に来よう。

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