[シリーズ]普天間基地の辺野古移設:歴史,現状,賛成/反対の意見,理由,問題点?

沖縄の基地問題で一番話題になるのが普天間基地の辺野古移設問題です。「世界一危険な飛行場」とも言われ、騒音問題や航空機の墜落事故などがよく取り上げられます。昨今、沖縄の基地問題で対立が激化していますが、ほとんどはこの普天間飛行場とその移設を巡ってのものです。まさに、普天間問題=基地問題と言っても過言ではなく、きちんと知っておくべきです。

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普天間基地とその歴史とは?

まず、普天間基地は沖縄県にある在日アメリカ海兵隊の基地です。2,700mの滑走路を持つ飛行場であり、米海兵隊の航空部隊が配備されています。この航空部隊は海兵隊と物資を輸送するための航空機や攻撃を行うヘリコプターなどから構成されており、輸送機としては一躍有名になったMV-22オスプレイが配備されています。つまり、地上戦を行う海兵隊の戦闘員ではなく、それらを支援する航空機や要員の基地なのです。

普天間基地の歴史は1945年まで遡ります。その前は水源地やいくつかの集落がありました。しかし、沖縄戦の最中に米軍が土地を接収して飛行場を建設します。これはいずれ日本本土への上陸作戦を見越しての建設でした。その後は、沖縄が米軍の軍政下、そして琉球政府統治下になるにしたがって基地の固定化が進んでいきます。特に、朝鮮戦争で共産主義勢力を大陸に抑え込む必要性を痛感したアメリカは沖縄の米軍基地を不後退防衛線の要として位置づけます。

 

朝鮮戦争後の不後退防衛線

 

1974年の沖縄の本土復帰後も基地は在り続けます。しかし、1995年の米兵少女暴行事件を受けて基地負担の軽減が急務となります。1996年には普天間の全面返還が決まりますが、移転策を巡って日米両政府で交渉が続きます。様々な案が浮上しては消えた後、沖縄県北部の名護市への移設が有力視されます。名護市では住民投票が行われますが、僅差で反対派が勝利。しかし、時の名護市長は辞任覚悟で移設を容認。そして、1998年には時の稲嶺知事が県内移設を容認して、2006年にはキャンプ・シュワブのある辺野古沖に移設する現行案での合意が成立します。もちろん、その間に詳細を巡っての対立や停滞がありましたが、現行案に関してはこのように決まりました。本来は、現行案に沿って建設と返還を進め、代替施設は2014年には完成するはずでした。

しかし、ご存知のように民主党の鳩山政権がこれに待ったをかけます。2009年の政権交代後、「最低でも県外」の公約を掲げた鳩山首相は普天間基地の沖縄県外への移設を模索します。ただ、ぽっと出の感じが否めず、期待感だけが高まります。アメリカはもちろん良い反応は示さず、日米首脳会談が10分間というレベルまで関係が冷え込みました。普天間移設を進めてきた外務省や防衛省の官僚も困惑し、具体的な解決策がなかった鳩山首相は2010年には退陣。せっかく合意までこぎつけたものを乱すだけ乱して終わりました。期待感を膨らませていた沖縄県と県民の裏切られたという失望感と怒りのみが残りました。

結局、辺野古移設の現行案に沿うこととなりますが、政府の都合で一度期待感を抱かされた沖縄県は反発します。2013年の第二次安倍政権誕生後は、県vs.政府の様相が一層激化します。第二次安倍政権になってから普天間の固定化を避けるためにも辺野古移設に向けた動きを加速させようとしますが、2014年に反対派の翁長県知事が当選します。翁長県知事は前任者の仲井真知事が承認した国による辺野古の埋め立て申請を取り消します。これを巡って県vs.国の裁判になりますが、2016年末に最高裁判所の判決を受けて県側が敗訴します。現在は、辺野古移設のための工事が着々と進められていますが、反対派との対立の解消には至っていません。大まかな歴史を書き記すとこんな感じです。

 

 

移設理由と反対・賛成派の存在

 

では、なぜ普天間基地を移設するのでしょうか?先に書いたように少女暴行事件で爆発した沖縄県民の反基地感情を配慮して負担軽減のためです。普天間基地は周辺を住宅街に囲まれており、「世界一危険な飛行場」とも言われます。ただ、大阪伊丹空港や福岡空港など街の真ん中にある飛行場は他にもあるので一概にそうは言えないと思います。

ですが、騒音に関しては爆音の戦闘機も飛行場を使用するので大きな問題と言えます。むろん、安心感の面で言えば、データに基づく墜落の危険性よりも、基地自体がない方が安心・安全に決まっています。そういう意味でも、海に近い辺野古に移設する方が、このまま固定化するよりも良いでしょう。さらに、普天間基地があるために、宜野湾市は分断されており、交通や往来に不便な状況です。返還によって貴重な県土を県民のための土地資源として有効活用すべきでしょう。このように、安全、生活、経済などの理由から移設がなされます。

 

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では、反対派はなぜ反対するのか?それは米軍基地を同じ沖縄県内に持っていくだけだからです。沖縄県民としては、負担軽減よりは結局また押し付けられているイメージの方が強いのでしょう。特に、期待感を抱かせた鳩山政権による迷走と裏切りの後なら尚更です。県民の大多数の願いは、米軍基地のない島にすることです。ただ、気を付けなければいけないのは、基地なき島を願っていても現実として「容認」する人も多くいることです。そのため、「基地のない島にしてほしい人=辺野古移設反対派」というのは早急な決めつけでしょう。それでも辺野古移設反対の主な理由としては、やはり米軍基地を同じ県内に移設することで結局基地の恒久化は変わらないという思いがあります。

ですが、反対派がよく主張する理由としては他にもあります。辺野古移設のための埋立によって海洋環境が壊されるという主張があります。曰く、サンゴが死滅したり、ジュゴンの生息地が破壊されるとのことです。しかし、それでは那覇空港第二滑走路の建設にも反対しないと筋は通らないでしょう。第二滑走路も辺野古とほぼ同じ面積の160ヘクタールを埋め立てる予定であり、周辺にはサンゴやジュゴンの生息地があるようです。つまり、環境破壊を理由に反対するならば、日本自然保護協会のように辺野古と那覇空港の両方に反対しないと筋が通りません。同じ理屈を使って片方はOKで、片方はダメというのはダブルスタンダードであり、その真意に疑念を抱かれます。

他にも地元住民が反対しているという意見があります。これは事実ですが、もう少し詳しく分析しなければなりません。辺野古基地のある名護市では住民全員が反対というわけではありません。実際、基地と隣接する地区では従来からあるキャンプ・シュワブと長年の交流があるため、容認派が多いと言われています。しかし、基地から離れた地区の市民は反対派が多いようです。ひとえに名護市と言っても、それぞれの事情に鑑みた意見を持つ地区が多くあります。

 

 

移転先の辺野古

 

2014年に行われた名護市長選では移設反対派の稲嶺市長が勝利しました。敗れた末松候補との得票差は4,155票。19,839票vs.15,684票です。人口6.1万人の市でこの結果をどう捉えるかは人それぞれですが、私は容認派が15,000人以上いるのに驚きました。メディアだけ見ればほとんどが反対している印象を受けますが、これを見ればそうではないことが分かります。

 

では、賛成派はどうでしょうか?まず、賛成意見としては辺野古移設によって普天間基地が返還されるというものがあります。これは事実であり、辺野古移設に伴って普天間基地は全面返還されます。代替施設なのですから。「世界一危険な飛行場」ならば、固定化するよりは辺野古沖に移設した方が良いということです。他にも海兵隊の抑止力が沖縄、そして日本の安全保障には必要不可欠であるという理由も聞かれます。しかし、私はこれに少し疑問を覚えます。詳しくはまた後日の記事で。一つ言えることは、積極的な賛成派は県民の中で少数派です。ただ、現実と照らし合わせて事実上「容認」する人は多いと言えます。これは政治が生んだ不都合ですが、現段階で実現性の低い県外移設よりは、比較的安全な沖合への移設を確実に遂行する「ベター」な選択肢を選ぶ人も一定数います。

>>>続く

 

画像引用元:www.pref.okinawa.jp (沖縄県HP)

 

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